変革

開業して5年半、大きく変革の時を迎えます。

これまで、上手くいったこともありますが、その背後はたくさんの失敗があります。
反省も多々あります。

そこから、改善の種を見つけ、成長につなげます。

この10月は、改善を大幅に進めます。

過去の成功自慢は失敗の元。

過去の失敗反省は成功の元。

授業至上主義について

授業を受けることが学力を上げるための最適の手段か、といえば殆どの場合それは違う。

授業には無駄が多い。
個別指導ですら、学習の主導権を他人に渡している時点で、最大の学習効率は得られない。

効率よく学力を上げるには、まず現状の学力と目標レベルのギャップを認識する必要がある。
そして、手順と方法を決めてから学習する。

手っ取り早く学ぶことの全体像を知ろうとするならば、ネット上にたくさんある優秀な動画を見ればよい。
そして、より深く体系的に理解するには、書籍でもデジタル教材でも自分に合うもので学べばよい。
学ぶ方法の選択しが飛躍的に増え、本当に良い時代になったと思う。

深く体系的に学ぶということにおいては、学ぶ意思が強ければ強いほど、授業という方法は相対的に非効率になる。

したがって、私の塾では高校生には定常的な授業を殆どしない。

だが、高校生以上のコースについての問い合わせで、授業はないのかと聞かれることは、やはりある。
大して意味がないからやりません、と即答したくなるが、そう思われるのも無理はないので、毎回丁寧に説明する。

授業が非効率と言えるようになったのは、インターネットにより情報が得やすくなったことが背景として大きい。
この10年でもインターネット環境は大きく変化したから、それ以前の感覚のままでいる人の方がまだ多いのかもしれない。
それに、誰しも自分の記憶を頼りに教育について指摘しがちなので、保護者の方々が「授業は?」となるのも大いに理解できる。
学校も大手予備校も未だ必要以上に授業をしているのだから、そうなるのも、もはや当然なのかもしれない。

少し話が逸れるが、文科省は教員の業務負荷や教員不足を問題にするなら、学校の授業を有名講師の動画に置き換えればよい。
教師はマネジメントや演習支援に徹すれば良い。
しかし、教職員の存在価値が低下すると恐れてか、それが実現する気配はない。

そんな体質だから、志ある教師は学校から去り、魅力も指導力もない教師が量産される。
ことさら、高校での進路指導や小論文指導についての能力の低さはこのブログでも何度か述べている。
ここでもまた断っておくが、全ての教師がそうだと言っているのではない。
組織の仕組みや体質がそのような不都合を作り出していると申している。

話を本題に戻す。
では、中学生・小学生に対してはどうかというと、ある意味仕方なく授業を行っている。
学ぶ意欲の強い子の割合が高校生に比べて低いためである。
本当は、できることなら学習マネジメント主体の指導がよいと考えている。
だから、中学生・小学生にも授業の中で学習方法や計画の立て方について指導する場を増そうとしている。
未だ道半ばである。

どこまで行くかわからないが、状況を見ながら最適な指導形態を模索していくとに変わりはない。
授業をするならするで、どのようにすれば学ぶ気持ちが高まり学力が伸びるか、それも模索していく。

だが、決して授業至上主義には陥らない。

変わりゆくことが生命の本質だ。
それに対し学校や一部の大手予備校は保身のために授業至上主義を変えようとしない。
そこから生徒たちを救う。
5年半前には存在すらしなかったこの塾が、これからどのように変化していくか。
楽しみというよりも使命感の方が強い。
確かな意志を持って、これからも有機的な探究を続けていく。

たまには政治の話でも。

2022年8月24日、岸田首相がこれまでに再稼働した原発10基に加え、7基の再稼働させる方針を表明し、更に次世代原子炉の開発にまで踏み込んで言及した。

日本の資源や国際情勢を考えれば、この動きは当然のことであり、遅すぎるくらいだと私は思っている。

エネルギー問題は、安全保障や食糧問題と同じく、国にとって最重要レベルの事項である。

しかしながら、このような動きに対して、すぐに多くの報道機関は猛烈に批判し、全力で阻止してくるだろう。

様々な手を使って、政権を貶める報道をするに違いない。

私が現政権を支持するか否かはさておき、自由民主党統一教会に関する報道や、防衛費増額に対する報道など、メディアの論調は著しく偏っており、いつもそのやり口は卑怯だと感じている。

話を元に戻すが、エネルギー問題は、人の生き死ににかかわり、国家の存亡にもかかわる。

エネルギー問題は、社会の根幹的な問題であるから、資源、環境、経済、国際情勢、安全保障など様々な事柄と密接に関係している。

そのことを踏まえて、ベストミックスをどう考えるかが重要である。

風力発電太陽光発電も大いに結構。

再生可能エネルギーの普及は進めるべきだと思う。

しかし、それだけで良いのか?

エネルギー密度の問題を、そしてパワー密度の問題をどう克服する?

エネルギー問題を考えるときに必ずぶつかる、これらのような物理的意味すらわからない人が批判を口にしても話が乱れるだけだ。

同じように次世代原子炉についても、それががいかなるものか知ったうえで議論しなければならない。

くどいようだが、エネルギー問題は、様々な要因が絡み合い複雑である。

複雑であるからこそ、問題を多面的に捉え、バランスの取れた方針を打ち出す必要がある。

よく知らないが故に怖く感じ、だから「原発」と聞いただけで、批判したくなる人もいるだろう。

しかし、一番怖いのは、知らないまま発言することで人の心が乱れ、世の中が良くない方向に進んでしまうことだ。

よく調べてよく考えてたどり着いた結論であれば、どんな意見でも尊重するが、そうでないケースが最近あまりにも気になったので、今日はこのことを記した。

私自身ももっと勉強する必要があるが、有機的に物事を考えられる人をどのようにすれば育めるようになるか、そのことを真剣に考えていきたい。

高校の小論文指導に関わる取り組みが酷い

何人かの生徒と面談をしていて知ったのだが、複数の高校の小論文指導で、新聞社の社員を招いた指導が実施されている。

文章の書き方の他、社会を知るために新聞を読めといった指導を行いっているとのこと。聞く限りどの高校も同じ某A新聞社。

以前からこの某A新聞のコラムを書き写すだけの馬鹿みたいな宿題を目撃したことは何度もあったが、今回のように直接指導することがあると知り、更に呆れたと同時に未だに怒りが湧いてくる。

何より学校の姿勢が許せない。
よりにもよって某A新聞社。
文章を書く指導くらいは教師がやれよ。
生徒に社会のことを知ってもらいたければ、偏ったマスメディアの人間など呼ばずに、リテラシーを教えろよ。
そんなことすら教えられないなら、学校から去れ。

これは強く思うことだが、軽薄かつ偏った報道内容に触れることは、高校生にとって害悪でしかない。
今や社会のことを知るのに新聞やテレビは適していない。
高校生が社会で活躍する5年以上先のことを予測するにも適していない。
若い人が自分で未来を切り開こうとするならば、自分で詳しくデータを調べて、書籍を読んで、知識や考え方を学ばなければ、自己実現は果たせない。
目先の小論文を上手く書きたければ、まずはそこを押さえたうえで、文章の書き方を学ぶべきだ。

この社会悪ともいえる実態を保護者をはじめ、多くの方々に知ってほしいと思う。

開業5周年を迎えて

今月で開業5周年を迎えました。
(既に半月ほど過ぎましたが…)

多くの方々にお世話になり、ここまで来ることができました。
本当にありがとうございます。

1年前、2年前と過去に遡るほど、仕組み・体制が整っていなかったと思います。
それでも、1年目から生徒が来てくれ、関係者皆様がここまでの発展を支えてくれたことに、心から感謝しています。
徐々に仕組みが充実してきて、生徒数も増え、経営・指導の方針としては間違えていなかったと感じています。

但し、そうした過去に対して、プライドは持っていません。
私が持つべきプライドは、未来とそれを目指す今の志であるべきだと思っています。

逆に過去にしかプライドが持てないのは成長していない証です。

今後も日々、改善を重ねていき、いつかこの日の状態が恥ずかしいと思えるくらい、また成長していきたいと思います。

今後とも、よろしくお願いいたします。