学歴マウントへの対処

学歴を自慢したりマウントを取ったりする人がいたら参考にしてください。そのような人は大抵は能力が低く、過去の栄光にすがる傾向があります。おそらく今の仕事や能力の面で弱点を抱えているはずので、そこを突いてみてください。

大学や高校を選ぶときには、実力と将来性から戦略的に志望先を考える必要があります。しかし、社会に出てからは学歴なんて人を評価する指標にはなりません。私自身も学歴や出身大学院に対して特に思い入れはありません。

教育業界では自分の学歴について語る人が多いですが、そんな人に対しては「あぁ この人バカなんだ」としか思いません。そんなことより、今やるべきことや、やってみたいことについて話す方が楽しいですよね。

実現したいことを思い描き、実行する力こそ、評価されるべきです。
学歴なんぞクソくらえ!

春講初日 勉強よりも大切なこと


2024年度春期講習の初日を迎えました。新中3・新中2の初日は合同で授業を行いました。前半は私が担当し、勉強の目的と学習計画の立て方、高校・大学の実態ついて話をしました。学校や他の塾では殆ど聞くことのできない内容なので、受講生の皆さんも目を輝かせて聞いてくれました。

個人的には、こうした人生設計や戦略に役立つ話、そして効率的な勉強の方法についてえることは、具体的な学習内容よりも大切だと思っています。なのに、どうして学校では誰も教えないのでしょうか。

幸いにも情報化社会となり、Youtubeなどで著名な方や実業家が大切なことを情報発信してくださっています。今は自分の未来は自らつかみ取りにいくことが大切な時代だと思います。

こうした大切な話は、当然ながら今回だけで伝えることは不可能です。今後も定期的にこのような授業を実施したいと思います。

初日後半の授業は、地学を中心とした科学的な動画を視聴してもらいました。春期講習は途中からの参加も可能なので、興味のある方はお問い合わせください。

なお、今回、私が担当した授業の内容の一部は、Instagramに掲載しているものと共通しています。
興味のある方は、Instagramもご覧ください。

https://www.instagram.com/yuukijuku.office/

 

授業風景

資料の一部

以上


春期講習 絶対に無料にはしない

この時期になると塾や予備校の広告が目立ちます。春期講習は無料のところが多いようですが、うちは有料です。絶対に無料にはしません。無料というのが気持ち悪いからです。

なぜそう感じるのか、自分なりにその理由を考えて整理してみました。

まずは、自分を裏切る行為だからです。私は春期講習が良いものになるように真剣に考えています。無料にしてしまば、どんなに手を抜いても無料だからと言い訳ができてしまいます。私にとってそれは不誠実です。

次に、講師やスタッフに失礼だからです。私の考えに賛同してくれ、時には意見を出してもらいながら、皆で作り上げる講習。それを無料にしてしまうなんて、これもまた裏切りです。

さらに、安さを売りにすると、売り手も買い手も心が貧しくなり本当の貧困を招くからです。どこぞの共産党じゃあるまいし、貧困を食い物にするつもりなどありません。

とはいえ、商売をするからには器用さも必要です。新規参加者には割引をしたり、継続して正式入会する方には特典を用意したりして、工夫はしています。

結果的に受講者が減ったとしても、それで健全でレベルの高い教育が実施できるなら、私はそれで良いと考えています。

健全に価値を生み出し力強く経済を回していく、その営みが社会を良くしていくことだと思いますが、いかがでしょうか。

体調不良から回復

先日、受験生が共通テストを頑張っているなか、私は風邪を引いてしましました。

そのせいで、先週は生徒と直接面談できず、大事な時期に申し訳ない気持ちでした。

インフルエンザも新型コロナも陰性でしたが、なかなかしぶとい風邪でした。

本格的な風邪は7年ぶり。前回は、塾の立ち上げ準備をしているときでした。

そして今は、この春に向けて塾の大きな改革の準備をしています。

自分でも何がどのように進化していくかわからない部分もありますが、7年経ってようやく形にできそうなことが幾つかあり、楽しみです。

どんどん変えていきます。

使命感を持って仕事をしていますか?
安定志向、クソ食らえ!

忘れてはならない航空機事故

1999年11月22日に起きたT-33A練習機の入間川墜落事故をご存じでしょうか。

当時、私は高校生でしたが、この事故のことを知って強い衝撃を受けました。

このフライトは、デスクワークが主となったエリートのパイロットが、技量を維持するための訓練でした。

その訓練で入間基地へ帰投する際、高度約2500フィート(762メートル)で機体トラブル発生。緊急脱出すれば、十分に助かる高度です。

トラブル発生から約4分後にベイルアウト(緊急脱出)を通報。高度は約700フィート(213メートル)まで下がっていました。この時点で機体が急速に下降し続けていたことが分かっています。

それでも、すぐには脱出せず、通報の約20秒後、高度約200フィート(61メートル)でようやく脱出しました。しかし、パイロット2名は殉職しました。

この事故で脱出が遅れた原因は明白です。
パイロットの目の前には学校や住宅地が広がっていたのです。それを避けようとコントロールを失う機体を懸命に操縦し、なんとか入間川の河川敷に至ります。
パイロットともベテランであり、脱出が遅れ助からないことは認識していたと思われます。結局、脱出後にパラシュートは十分に開かず、地上に激突し、即死であったとされています。

民間人に犠牲者を出さないために、まさに「必死」で機体に留まっていたのです。


この事故により送電線が切断され、約80万世帯が停電し、交通にも混乱が生じました。

私が、この事故で許せないのは、マスコミです。停電のこともあって、新聞各紙は浅はかな記事を撒き散らし、自衛隊批判を扇動するような報道を繰り返しました。
航空事故調査委員会の報告により、名誉を取り戻しましたが、それに対する報道を目にした記憶はありません。このことは、マスコミが悪意に満ちていることを、私が知った最初の出来事でした。

さて、殉職された2名のパイロットは、ともにベテランであり、エリートでもありました。その人柄はロック岩崎(故 岩崎貴弘)氏の著書『最強の戦闘機パイロット』(講談社)でも語られています。
記憶が正しければですが、前席のパイロットは、その前年くらいまで築城基地で第6飛行隊の隊長を務めていました。そのとき、この飛行隊は全国で行われる戦術競技会で優勝を果たしていました。そのこともあって、この事故は強く記憶に残っているのです。

その第6飛行隊は今も精強であって、築城基地から日本の領空・領海・領土を守り続けています。そして、11/26(日)の「築城基地航空祭」では、その雄姿を私たち一般人にも披露してくれます。初めてみる方は、その迫力に度肝を抜かれることになると思います。
ブルーインパルスのアクロバット飛行もありますし、気になっている方は、是非「築城基地航空祭」に出掛けてみてはいかがでしょうか。

大人こそ志を、そして謙虚に

いつも、中高生の進学について云々言っておりますが、大人こそ志を持つべきだと思っています。子供達は大人をよく見ています。私たちが希望を持たなければ、子供たちが想像する未来は暗くなるばかり。まずは大人が希望を持って、お手本になりましょう。

同時に、大人は謙虚であるべきです。「肩書で仕事をしない (リンク)」でも同じようなことを書きましたが、本当に仕事をしている人は自分の実績を見せびらかしたりしません。立派な人ほど謙虚です。

逆に、肩書や資格、過去の栄光にしがみ付いて生きている人は、よく自慢をします。地位が目的になっていませんか。地位を権威として振りかざす人は、魂が穢れています。そして、無様です。

人々が敬意を払うのは、決して地位や役職,職業などでなく、その人の生き方です。志を持ち、様々なことが見えてくるまでは謙虚に口を慎み、学びましょう。いずれ機が熟し、適切に行動すれば、必ず良い結果がもたらされるはずです。

型を変える

普段、中高生や大学生講師に接していて、とても気になることがあります。それは、問題に直面したときに、問題の「型を変える」ことができないことです。

私なら5秒くらいで解決する問題を、悶々と考え、挙句の果てに放置、といったこともしばしばです。無理やりその型にはめようとして、上手くいかずフリーズ、というケースです。

決して私の頭が良いわけではありません。多くの場合、私はただ、問題の持つ型自体を変えているだけです。

思い返せば、私も20代まではそれが苦手だったように思います。その頃は、会社の先輩や上司にたくさん迷惑を掛けました。

そして、社会全体に目を向けると、多くの日本人が「型を変える」ことが極めて苦手です。決り事やルールを守ることは大切ですが、それらを適切な形に変えていくことも同様に大切です。頑なに決り事やルールを変えないことは、分断を招き、時に破滅を引き寄せます。

日本国憲法も同様です。憲法第96条は何のために存在しているのでしょうか。時代に即して変えていかないのは、私たちの先祖、そして子孫に対する冒涜です。

話を戻しますが、「型を変える」ことができないのは、今の教育制度に根差しています。せっかく大学・大学院まで行っても、就職したら1年目からダメ出しの嵐で、メンタルダウンに追い込まれる若者が大勢います。「型を変える」ことができなければ、本当のマネジメントができなからです。私たちは、答えのない問題にどう対応するか、ということをもっと学ばなければならないし、教育もそれに対応せねばなりません。

日々、個別の事象に対応しながら、時代に即した教育の在り方について模索していきたいと思います。