忘れてはならない航空機事故

1999年11月22日に起きたT-33A練習機の入間川墜落事故をご存じでしょうか。

当時、私は高校生でしたが、この事故のことを知って強い衝撃を受けました。

このフライトは、デスクワークが主となったエリートのパイロットが、技量を維持するための訓練でした。

その訓練で入間基地へ帰投する際、高度約2500フィート(762メートル)で機体トラブル発生。緊急脱出すれば、十分に助かる高度です。

トラブル発生から約4分後にベイルアウト(緊急脱出)を通報。高度は約700フィート(213メートル)まで下がっていました。この時点で機体が急速に下降し続けていたことが分かっています。

それでも、すぐには脱出せず、通報の約20秒後、高度約200フィート(61メートル)でようやく脱出しました。しかし、パイロット2名は殉職しました。

この事故で脱出が遅れた原因は明白です。
パイロットの目の前には学校や住宅地が広がっていたのです。それを避けようとコントロールを失う機体を懸命に操縦し、なんとか入間川の河川敷に至ります。
パイロットともベテランであり、脱出が遅れ助からないことは認識していたと思われます。結局、脱出後にパラシュートは十分に開かず、地上に激突し、即死であったとされています。

民間人に犠牲者を出さないために、まさに「必死」で機体に留まっていたのです。


この事故により送電線が切断され、約80万世帯が停電し、交通にも混乱が生じました。

私が、この事故で許せないのは、マスコミです。停電のこともあって、新聞各紙は浅はかな記事を撒き散らし、自衛隊批判を扇動するような報道を繰り返しました。
航空事故調査委員会の報告により、名誉を取り戻しましたが、それに対する報道を目にした記憶はありません。このことは、マスコミが悪意に満ちていることを、私が知った最初の出来事でした。

さて、殉職された2名のパイロットは、ともにベテランであり、エリートでもありました。その人柄はロック岩崎(故 岩崎貴弘)氏の著書『最強の戦闘機パイロット』(講談社)でも語られています。
記憶が正しければですが、前席のパイロットは、その前年くらいまで築城基地で第6飛行隊の隊長を務めていました。そのとき、この飛行隊は全国で行われる戦術競技会で優勝を果たしていました。そのこともあって、この事故は強く記憶に残っているのです。

その第6飛行隊は今も精強であって、築城基地から日本の領空・領海・領土を守り続けています。そして、11/26(日)の「築城基地航空祭」では、その雄姿を私たち一般人にも披露してくれます。初めてみる方は、その迫力に度肝を抜かれることになると思います。
ブルーインパルスのアクロバット飛行もありますし、気になっている方は、是非「築城基地航空祭」に出掛けてみてはいかがでしょうか。