推薦・総合型選抜の指導について

近年、大学入試において推薦・総合型選抜を利用する人が増えています。最近では、このような入試の指導に特化した塾も増えているそうです。

私は、というと、これを専門にするつもりはありません。あくまでも、個別の事情に応じて、部分的にその様な指導をしています。

指導の前提として、入試に受からせることが目的になってはいけません。受験生本人にとっても、大学進学は目的ではなく手段です。

仮に、私が生徒の代わりに志望理由書などを書き、面接の対策を徹底すれば、合格の可能性は飛躍的に高まるでしょう。でもそれは、社会を裏切ることになるし、何より長期的に見れば、受験者自身が辛い目に遭います。

大切なのは、本人の成長です。

したがって、指導の際には、生徒自身が変わること、この点に集中します。自分の志に向き合わせることが重要です。

受験に限らず、多くの方が、自己の確立において深く悩みます。それが高校生で、推薦や総合型選抜で大学入試を受けるなら、受験学年になる前からしっかり考えておくべきです。

このようなことは、誰からも教わらない場合が多いでしょう。なので、推薦や総合型選抜を利用する、しないに関わらず、多くの高校生のために、ここに記します。

大学入試に合格し、その後の人生を謳歌したければ、真剣に自分に向き合ってください。そこで生まれる信念は、入試ごときで曲げられるものであってはなりません。
強く、賢く、生きなさい。

小論模試、お前もか!

高校の取り組みとして、小論文や推薦入試等の志望理由書について、模試として添削を業者に依頼しているケースがあります。この度、その実態を見たのですが、それが信じられないくらい酷いものでした。

今回みたのは、推薦入試の志望理由書でしたが、私見では、その文書は、細かい書き間違え等を除けば、よくできています。その業界のことをよく調べ、社会人になってからのキャリアまでよく考えています。その生徒さんは医療系の道を志望しているのですが、その分野に詳しい身内に見てもらっても、同意見です。

ところが、採点では、目先の大学で何を学び身につけたいか、という記述が少ない点をしつこく言及し、総合点数は6割程度となっていました。医療系の学部なので、大学で何を学ぶかなどわざわざ書かなくても分かりきっています。それよりも大事なのは、自分が志す分野・領域で何が必要とされているか、そのためにプロフェッショナルとしてどんな素養が必要か、ということを自ら考えているということです。それができていれば、今後どのように学び、過ごしていくべきかは、自ずと決まります。こういったことが、十分に表現できていたので問題はないと思っています。

今回は、採点者が、医療業界や社会人のキャリア形成についての知識・経験が希薄であることが明らかでした。信じられないことに、明らかに生徒が採点者の能力を大きく凌駕しています。

今回のケースでは、高校も被害者になりますね。

どこの業者かは明かしませんが、第一に採点者自身が学習すべきです。その程度で仕事が務まるなら、私もその業者に採用応募してみようかしら。

志を育むこと

1. 現状
夏休みに入って、大学入試で総合選抜型入試や推薦入試を利用する受験生たちが、志望理由書を一生懸命に作成していますが、上手く書けない生徒が殆どです。
書き方の問題もあるのですが、殆どの場合、自分の将来像が見えていません

2. 塾での対応
私の塾では、生徒が上手く書けるように個別に面談を重ねています。当然ですが、志望理由書を書くのは私ではありません。生徒自身で書けるように意志を確立させます。
具体的には、その生徒が携わろうとする分野がどうなるか、そしてどう変えていきたいかを一緒に考えます。
大学へ行くのですから、時代の流れに合わせるといった従属的な考え方ではなく、その分野をどのようにリードしていくかを考えるべきです。
将来、どのようなことが起こり得るか、その結果どのように社会に影響するか。そして、それをどのように導いていくか。

生徒と対話しながら、生徒の将来、そして生徒を通して訪れようとしている未来をえぐり出しているような感覚です。将来像が少しでも見えてくると、私自身も気持ちが高揚しますし、生徒は目の色が変わります。


3. 問題の本質
本来、このように自分に向き合うことを生徒に促し、志を育むことは、受験学年になる前にやっておくべきことです。
私の塾だけで、このような状態ですから、社会全体ではどれだけ多くの高校生が悩んでいるでしょう。
大した目的もないまま大学に進学してしまう人もかなり多いはずです。

志を育むことは、学習指導よりも遥かに大切なことなのに、何故、こんな状況になっているのでしょうか。
その原因は、たくさんあると思いますが、特に高校の先生方と文部科学省の責任は重いでしょう。

高校の先生方、真の意味で仕事をしていますか?自ら勉強して生徒と一緒に将来像を探求していますか?それをやりたくでもできないのであれば、学校教育の仕組みに欠陥があります。現場から行動して声を上げなければ何も変わりませんよ。

文部科学省の皆さん、失策を自覚していますか?組織として仕事に不備により、国益が大きく損なわれている現状から決して目を背けないでください。

最後に、これは私どもにも言えることですが、上司が、現場が、行政が、慣例が、といった「分断」こそが真の敵です。将来に悩む高校生と同じように、私たち大人が自分に向き合いましょう。

受かれば良いってもんじゃない

塾内外の様々な人の進路情報を聞きながらよく思うのですが、志なき進学にどれだけの価値があるのでしょうか。

例えば、理数系の道を志望していた高校生が共通テストで失敗し、行ける大学を探して文系の学部学科に入ることがあります。

言語道断。そんな学生に待っているのは、妥協がお似合いの下り坂人生です。

冷静に考えて、そんな中身のない人間に魅力を感じるでしょうか?

それが将来の就職や仕事において、その人の評価に直接的に影響していきます。

進路を曲げなかったとしても、強い意志は必要です。

企業で技術系の仕事の傍ら、採用関係の業務で多くの大学生や大学院生に接してきました。

理系の国公立大の学生が殆どでしたが、私がいた企業の採用に見合う学生はかなり少ないのが実態でした。

接したときにその人から感じられる意志があまりにも希薄であったケースが非常に多かったように思います。

もちろん志だけでその人を評価するわけではありませんが、成績が悪かったり留年したりしても、志があればその人に魅力を感じるものだと思います。

具体的な志でなくても、誰かに喜んでもらいたいとか、社会の役に立ちたいとか、そんな気持ちから起こる行動は、いずれ実を結ぶのではないかと思います。

「努力は実る」といいますが、何も次の春に無理やり中途半端に実らせることがベストとは限りません。

器用さは大事ですが、妥協はその人間を堕落させます。

一生懸命に道を探しながらも安易な方向には逃げず、立ち向かって負ければまた立ち上がり、そうして力を付けて強く生きていくことで、魅力ある人間に育っていくものだと思います。

私が応援したいのはそのような人です。

「文書」問題から考える社会と教育

最近、世間を賑わせているある「文書」を巡る政治の話題について、私は、人を貶めることに傾倒する野党議員のような生き方を心から軽蔑しています。

その人の生きざまを通して明るい未来が見えるようでなければ、政治家としての素養はありません。

「文書」問題で騒いでいるのが立憲民主党員だから酷いということではありません。

自由民主党だって、権力や私利私欲に溺れている政治家はたくさんいます。

しかしながら、別の立派な国会議員が仰るように、こんな人たちでも選挙で選ばれてその職に就いているという事実があります。

大切なのは、政治の有様が、私たち有権者の状態の鏡になっているということだと思います。

政治家を見て醜いと感じるのは、それはつまり社会の状態が酷いということになります。

社会を、政治を良くしようと思えば、私たち有権者が思考の分断を無くすよう努力し、子供たちに良い教育を施す必要があります。

政治・思想は自由ですので、特に教育は公平・中立であるべきです。

ところが、マスメディアや学校の教職員の思想が偏っているケースがあまりに多く、私の小さな学習塾においても公平・中立に物事を考えられる状態を作ることに苦労しています。

端的に言えば、報道や学校から植えつけられる「分断された思考」を破棄し、様々な角度から事象を捉える能力が身につくように指導を繰り返しています。

欺瞞に満ちた政治やマスメディアに打ち勝ち、子供たちが将来、より良い社会を築いていけるように今日も頑張ります。

高校の課外授業

【生徒の皆さんへ】

高校の課外授業の受講は、あなたにとって最善の選択ですか?

そうでなければ、勇気を持って不参加にしてください。

課外授業を受けないとなると、学校からは、受けるように圧力を掛けたり嫌味を言われたりすることあります。

ですが、低質な時間の使い方をするべきではありません。

週に5時間、年に10ヵ月として、年間で200時間以上が失われることになります。

    5[時間/週]×4.3[週/月]×10[月/年] = 215[時間/年]

失われた時間は永遠に戻ってきません。

200時間あれば、何ができますか?

(例)入試に必要な英単語を全て覚える。
(例)苦手な数学を克服する。

私だったら、睡眠に充てます。
慢性的に睡眠不足であれば、睡眠時間を1時間の増やすだけで、脳の活性は劇的に変わります。


【学校の教職員諸君へ】

人の時間を奪うことは、最も罪深いことのひとつです。

教師は聖人であれとまでは言わないが、せめて人として誠実でありなさい。

生徒のために一生懸命に授業をしていることはわかりますが、どんな授業をしてもそれが学力向上に繋がるのは少数の生徒のみです。

そんなことをする暇があるなら、勉強方法を一緒に考えるなり、生徒の進路に繋がるよう社会動向を一緒に予想するなり、人のためになる時間の使い方をしなさい。

生徒の貴重な時間を奪うことは今すぐにやめること。